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交通系WEBメディア「駅事務室」さんに取材して頂きました。
5月16日付交通系WEBメディア「駅事務室」さんに取材して頂きました。

鉄道の衰退を象徴するかのように、駅構内が道路によって分断されてしまった伊万里駅。鉄道にとっては危機的状況ではあるが、実はこの街に市街地復権、ひいては地方都市の未来を拓く種が蒔かれている…そこには、地元・伊万里を愛するアツい人々の姿があった。 ・駅の分断を乗り越えて 1898年に有田─伊万里間開業、1930年に松浦方面へ延伸、1935年に現筑肥線が博多方面から到達し、現在の路線網が形成された伊万里駅。しかし1988年に旧松浦線が松浦鉄道西九州線に転換され、直通運転が無くなった。往年は博多から唐津、伊万里を経由して平戸口、佐世保へ向かう結ぶ急行「平戸」が走ったルートである。しかしこの頃には筑肥線も西九州線も、長距離列車に対応した長いホームに時折1〜2両の普通列車が発着するだけのローカル線と化し、その重厚な設備を完全に持て余していた。 2002年の伊万里駅改築を機に、東西に長かった駅構内を縦に分割し、東側駅舎の筑肥線、西側駅舎の西九州線の間を、新たな都市計画道路が通ることになった。長大編成の発着もなく、筑肥線と西九州線の直通列車も一本もないという実態に合わせ、大きな駅一つを小さな駅二つに分割し、間に道路を通したというわけだ。 このようなケースでは駅を跨ぐ高架橋を架けるか、アンダーパスを通し、駅自体には手をつけないという事例が多い中で、その実態に合わせて駅自体を割るというのは、ほとんど例がない。工費も高架やアンダーパスより安く、画期的な手法だと思う。 しかしこれによって筑肥線と西九州線を結んでいたレールが断たれ、物理的にも直通運転が不可能になってしまった。新たな軸をつくり再開発を促すという意味では、市街地にとってはチャンスであっても、鉄道にとってはマイナスになりかねない事例でもある。 そのような選択をした伊万里駅をこの目で見ようと思い、西九州線で伊万里駅に辿り着いたのは6/24(日)の19:16。観光客はとうに姿を消し、地元客がぽつぽつと駅前にいる適度であった。 ・不思議なお店"伊萬里百貨店"との出会い 西駅舎併設のギャラリーが17時クローズで、駅周辺の見所はもうあまりなかったため、早めに駅に戻ってきた。20